比較論
「いい家」が欲しい。/談話室
TK
2000/05/29(月) 21:51:11
松井様
松井さんの最近の発言で以下のものがあります。
「なぜなら、大概のお客様は一つの工法しか選択できないのですから、あれもいい、これもいいと無節操な評論家のようでは責任ある家づくりはできないからです。
これがいいと信ずるものをお客様にお勧めするに際しては、それは良くない選択ですよと比較論を展開するのは当たり前のことです。」
同感です。
どんな家が良いのかと考えはじめています。外断熱と内断熱とでは外断熱が良いと、ここまでは簡単に結論が出るのですが外断熱の中ではどれが良いのかとなると良く分からなくなります。例えば通気層はあった方が良いのか、無くても良いのか、無い方が良いのか?ああでもない、こうでもないと考えたりしますがよく分かりません。最近では、住んでみないとわからない、というのが取りあえずの結論です。
そこで松井さんに質問です。
生まれてから今までに1年間以上実際の生活をした経験のある家の数はいくつですか?よろしければそれぞれがどんな家だったのか教えてください。松井さんがSCの家が一番良いと感じていられる背景を知りたく思います。人は体験なしに真実を知る事は出来ないと感じています。
人の話しを聞く前に自分の話しをしておきます。
5歳まで:東京、在来工法、土壁、記憶がほとんどありません。
18歳まで:東京、在来工法、土壁、冬がとっても寒かった。
はじめは火鉢に炭、掘りゴタツに練炭でした。朝起きるの
が辛くて掘りゴタツが暖まるまで火鉢の上にまたがっては
母に怒られました。
それから対流式石油ストーブ、輻射式ガスストーブにな
り、掘りゴタツは電気式になりました。真冬はストーブを
つけっぱなしにしても寒い家でした。一貫して冷房機な
し。
19歳頃: 北海道、鉄筋コンクリート、スチーム暖房。外は零下20
度ぐらいでも室内は暖かかった。朝暖房が入ると聞えるカ
ンカンカンという音が懐かしい。
20歳頃: 北海道、在来工法、土壁。コンクリートの住宅から比べる
と天国と地獄。反射型石油ストーブ、室内の壁にもろ結露
していました。ストーブをつけっぱなしで寝るわけにもい
かないので、朝は想像を絶する寒さ。布団の中からストー
ブに火をつけて数時間後に起きた。暖房機が貧弱だった頃
はどんなだったのだろうか?
21歳頃: 北海道、在来工法、断熱不明。煙突付の大型石油ストーブ
があったリビングは暖かかったが、反射型石油ストーブの
寝室の朝は寒かった。室内の壁に結露することはなかっ
た。前の家より新しい家だったので断熱は良かったのだと
思う。
39歳まで:18歳までの家に戻る。隙間風が一杯。
温風ガスストーブ、エアコンが入るも冬はストーブつけっ
ぱなし。夏はエアコンを切ると瞬く間に元の木阿弥。
42歳まで:アメリカ、ニュージャージー、ツーバイフォーだと思
う。天井裏にグラスウール。築40年。全室温水暖房、壁
にそって放熱部が巡らしてある。つけっぱなしなので24
時間暖かい。風が起きない暖房はいいです。これがアメリ
カの底力だと思い知る。設備が古いせいか温水を送り出す
機械の音がうるさかった。ついには壊れて地下室に水があ
ふれた。温水暖房の無い日を数日過ごす。コタツだけでは
やっぱり寒い。
それ以降: 18歳までの家に戻る。築60年、もうそろそろ限界に近
い。大きな地震が来たらつぶれるはずです。2階にいると
ちょっと強い風が吹くと揺れを感じます。人が廊下を歩い
ただけでも揺れます。地震の際はあの人はどうしたかと思
い出してやってください。
良い家が欲しい。でも今の家にも愛着がある。壊す時はし
っかりと見届けてやるつもりです。
エスター
2000/06/10(土) 00:00:49
すごいことを質問される方がいらっしゃる
ものだなーと感心していたのですが、なぜか
松井さんのお答えが大変待ち遠しく毎日気に
なっていて、毎晩がっかりしています。
松井さんって、どんな方?
どんな家に住んでこられたのかしら?
TK
2000/06/13(火) 13:01:04
エスター様、反応があって嬉しく思います。
私の質問はかなり個人的な生活そのものを聞いているので、答は無理かなと思っています。最近、この談話室ではSCの誹謗や個人批判めいたものが横行したようですが、そのような主旨で松井さんへの質問を書いたのではありません。家を建てようと真剣に考えはじめて情報をかき集めると、断熱、機密、換気、躯体構造など技術論的な部分はある程度理解できます。室内温度や湿度などのデータも各社から提供して頂けます。外断熱工法のそれを比較しても、多少の違いはありますがデータ自体は大きく変りません。データの元になっている家の建っている場所、条件が違うので、多少のバラツキはあるだろうと想像されます。それではどこに頼もうかと迷います。
SCの二重通気は面白そうだなと思ってはいますが、決定的な要素にはなっていません。ハードは外断熱に決めても、依頼先が決められないならば、ソフトで決めるしかないかと考え始めました。人がいい家と感じる感覚の中には、データでは分からない部分があるのではないかと思います。住んでみないと分からない事は山ほど有りそうです。そこで居住経験に裏打ちされた工務店ならば、信頼性は高いのではないかと考えました。
問題を二重通気層に限定すれば、外断熱で二重通気層のある家と無い家の両方に1年以上住んでみれば違いが分かるように思えます。データ的には余り違わないとすれば、その判断は主観的なものだといえますが、体験者の言うことは、非体験者の言うことよりも重みがあります。信頼してもいいかなと思えます。
電気製品などで複数の機器を使用して、比較テストを実施し、この中ではどれがよいと評価する商品テストといわれるものがあります。大量生産で品質的なバラツキが少なく、使用感が短期間で判断できる商品だから、比較テストがやりやすいと言えますが、いい家つくることを信条とする建築家や工務店がそんな体験を元にした家作りをされるのは、大変に説得力があると思えます。ある工務店では体験宿泊を勧めています。今度、体験してみようと思っていますが、一日だけの体験で全てが分かるとも思えません。いい家をつくる会が共同で外断熱どうしを比較テストされると、購入者としては信頼感が増します。
温度や湿度では捉え切れない別の要素が、いい家と判断させている可能性があります。いくら科学技術が進歩しても、まだまだ捉え切れない何かがあります。たった数十年前に誰が環境ホルモンの問題を察知していたでしょうか。誰が外断熱がいいと言っていたでしょうか。
どなたかすでに外断熱の家どうしの比較テストを実行済みの方はいらっしゃいませんか?
川上
2000/06/13(火) 15:01:46
TKさん。
家の立っている場所が建物の基礎になるため、同じ地盤をつくること
自体が難しいだろうと思います。それと、家の周りがどうなっている
かで、日照、風当たり、水場、照り返しも違うので、同じ条件という
のも難しいのでは?また、大工さんに同じ家をもうひとつ造ってくれ
というのも、かなり難しそうです。木材そのものが、同じものが
手に入らないだろうし、手作業で、完璧に同じ動作を繰り返すのは
神業ではないかと。現場をみてそう思いました。
私も、数えてみれば一年以上住んだ家というか建物は、現在11番目
になります。あとは、盆正月に泊まる妻の実家ですね。
体験宿泊も冬と夏、梅雨時とか何回かいけばまちがいないはずです。
もしよろしければ、レポートしてもらえないでしょうか?
とりとめのない書き込みでごめんなさい。
松井
2000/06/14(水) 08:33:08
生まれ育った家は、平屋のごく普通の家。
門構えが立派な以外には、取り柄がなかったように思う。
いつの日かに増築された台所は、一角に井戸のある土間床方式だった。そばにセメントでつくられた流しがあって、洗い物はしゃがんで行う。
かまどがその並びにあって、薪で炊きあげる。
羽目板一枚で外となる。節穴から中を覗くことができた。
その土間に簀の子が敷かれて、座卓が置かれていた。
夏は涼しくて良かったが、冬はどうにも寒かった。
母は、私を産んでから体調を崩して1年半ほど寝たきりになっていたという。
たぶん、体調が整わないのにその寒い台所に立ったり、しゃがんだりを繰り返す日々はかなりつらかったと思う。
おやじは、小原庄助のような生き方をしていた。
夜中に、酔っぱらいを何人も連れてきて、隣の部屋で「ちゃんちきおけさ」が始まるのは珍しいことではなかった。
便所を勘違いした客が、私の寝ているすぐ側の廊下の突き当たりにある物入れを開けて、長々と小便をしたのを覚えている。
酒飲みは、寒ければ酒を飲み、暑ければまた飲んで、酒と肴にはふんだんに投資するが、増築したその台所はシンプルを通り越して実に粗末なものであったが、それでも当時としてはましなほうであったようだ。
中学に入って、襖と障子で仕切られているだけの続き部屋の一角に、自分の占有空間を確保したい欲求が強まった。
音楽に興味を持つようになり、こたつの中にラジオを入れて、反対側から頭をつっこんで家族が寝てから聞いていた。
こたつには炭火が入れられていたので、一酸化炭素中毒になりかけたことがよくあった。
大学2年、おやじは事業に失敗。駅前の一等地は人手に渡る。
私の将来に投資をしようという奇特な人が現れたお陰で、私は麹町にあるアパートに引越すことができた。
6畳に今でいうミニキッチン付き。友人の多くは3畳か、4畳半に下宿していたので、彼らからは麹町御殿と呼ばれてうらやましがられたものだ。
環境に恵まれすぎると、勉強ができなくなる質であることをやがて知ることになるのだが、すでに遅しで大学は出たけれど勤め先が見つからなかった。
仕方なく、司法試験の勉強を始めた。
そんな根性のものが受かる試験ではない。当時、試験に受かった仲間の中に、眉毛を剃り落としたものがいたほどなのだから。
しかし、まったくの気まぐれ的な偶然の縁で、不動産屋に就職することになった。いわゆる“千三屋”である。それは、千に三つの確率で話がまとまれば遊んで暮らしていけるという商売のことを皮肉って言ったものと聞いた。
しかし別の説もある。
千に三つぐらいは本当のことを言う人種が行う商売であるとも。今は違う。不動産業界は、住宅業界よりもはるかに正直に商売が行われている。
それはさておくとして、おやじは嘆き、怒った。
「お前のようなヤツは勘当だ!」と。
悲しいかな、その頃のおやじには息子を勘当する家が無かったのである。
それでスポンサーに頭を下げて見限っていただき、小金井にある北向きの四畳半のアパートへ移った。
机だけであとは何も無い。懐は日に日に限りなくゼロに近づいていく。
すると才覚が働くもので、大学時代に磨いた麻雀の腕前を用いて、夜に道場を開設することにした。
金持ちの先輩業者を集め、高額な授業料を払わせることに成功。
残念なことは、稼いだ金で腹ごしらえをしようとしても当時はコンビニもなければレストランもない、仕方がないので沸かしたお湯をすすって空きっ腹を慰めざるを得なかったことだ。
部屋はトイレの隣だったから、いつも臭いと音に悩まされた。
冬の夜に小さな流しで洗濯する時、手が冷たさで痛くなる。月賦で買った円筒形の石油ストーブには、だいぶいじめられたものだ。ほんのちょっと調整をし損なうと真っ黒い煙を出す。
トイレから戻ると、部屋の中が真っ黒けということがよくあった。
次の年に南向きの新築の四畳半へ引っ越した。一階には大家さんが住んでいて、二階の3部屋を貸していた。
引越して一週間もしない冬のある朝、水道は凍結で水が出ない。
10時頃、会社へ大家さんから「大変だ、すぐ来て!」との絶叫が届く。飛んで帰るともはや遅し。一階の大家さんご自慢の和室の壁を水が容赦なくしたたっていた。それは、閉め忘れた私の台所の蛇口からとけて流れ出たものであった。
27才。東南の角部屋である6畳に移り住む。結婚のためである。
すぐに、ご懐妊。そのため6+4.5+台所6、浴室、トイレ付きの二階屋に引っ越し。そこで長男誕生。すぐまたご懐妊。
そのため平屋で同じような広さの貸家に移る。そこは新築であった。
次男誕生、続いて三男誕生。さらに続いて四男までも。
女房が毎日泥だらけになる子らを、一日に2〜3回風呂に入れたり出したりしていたので浴室の敷居が3年もしない内に腐って落ちてしまったのには驚いた。
33才でその貸家で独立。マツミハウジングを創業する。
その年は、神経性胃腸炎とアレルギー性鼻炎で苦しむ。
夜中は、くしゃみ、鼻水、鼻づまり。昼間はそれに加えて下痢に苦しむ。
ある日の朝、仕事に出かけた車の中で下痢に効くキノホルムで死者が出たとのニュースを耳にする。ポケットから出した常備薬のラベルを見ると、なんとそれがたっぷりと含まれているではないか!
その場でその薬と潔く縁を切った。するとそのとたんに下痢とも縁が切れてしまったのである。
夜帰ってきてからお客様へ電話をしなければならない。静かにしているように言い聞かせても、四人もいればそれを守っていられるのはせいぜい数分でしかない。そこで電話のコードを長くしてもらい、お客様とは玄関の外に出て話すことがよくあった。北道路の向かいは畑で、寒風が身にしみた。
次に、6+4.5+3+台所6+浴室+汲み取り式トイレという古家に引っ越し。
最初の冬に5才の長男に3人の弟の食事その他を任せて、仕事で2週間ほど鎌倉へ女房を連れて通ったことが3回ほどあった。
朝5時に出て、帰ってくるのが夜の10時頃。
夜中には、アル中気味のおやじから1時間ぐらいの長電話がくる。
その頃に「憂きことの、なおこの上に積もれかし、限りある身の力試さん」という歌を口ずさみ続けていた。
夏は暑いのが当たり前の時代。子供達は四畳半の部屋に二段ベッドを二つ並べて寝かせていた。たまに夜中に見回るとみんな玉の汗を吹き出していた。
1972年、その頃は無断熱の時代であった。薄いスレート瓦を透過してくる太陽の熱は、室内のあらゆる物に蓄熱されて夜中でも冷めることなく子供たちを包んでいた。
翌年は、第一次オイルショックに見舞われる。
金繰りのつらさは、家の暑さや寒さの比ではない。
運良くその難局を乗り越えて、築12年の中古住宅を手に入れた。
屋根は、パラペット亜鉛鉄板葺き。夏の日中は、灼熱地獄。
中2になった長男は、暑さのせいでか頭の血が熱せられ過ぎたらしく不良化する。このままでは高校進学もオボツカナイと女房は嘆き続ける。「心配するな、わずかとはいえども都税を納めているのだから。」
つまり東京都の大事なお客様なのだから、せがれが望みさえすれば都立校のどこかはどうぞどうぞと迎え入れてくれるはずだと言い聞かす。
やがて今度は次男が変なことを言い出した。
「僕の机が傾いてきた。鉛筆がみんな転がってしまう」と。西北の角が彼の部屋。観察してみると確かにだいぶ傾斜している。
それもそのはずで、通し柱が基礎から2メートルほど完全にシロアリに食べられて無くなってしまっていた。
ある雨の降る朝、食事をしていたらテーブルの上に突然雨漏りしてくる。
それ以前に、あちこちで雨漏りはしていたのだが、まさかテーブルの上には落ちてこないという信頼は完全に裏切られる。
ちょうどその頃、偶然にその家を建てたという建売屋に出会う。
彼が言うのには「あれは“いい家”ですよ。基礎はしっかりつくったし、材料も特別吟味したし、大工の腕も良かったし、ネッ、松井さん、“いい家でしょ?”と。
しかしその家は、今では大問題になるような欠陥をすべて保持していた。床の傾きは1000分の6を越えていたし、シロアリの被害は甚大だったし、二階で四人の息子たちが動くと、下階には暴力的な振動音として響いてきた。
一階の和室の寝室は、隙間風がひどいので頭の周りを座布団で囲っていた。
梅雨時は、カビの臭いに悩まされる。
解体の最中を見てびっくり。スジカイはラス板と同じもので基礎はベースがない。よくぞこれでつぶれなかったものだ、木造軸組というものはたいしたものだと感心する。
さらに余談だが、その家の売主は契約するときにこんな話を聞かせてくれた。
「この家は、建売だったのですが注文建築と同じようにていねいにつくってもらったんですよ。私たち夫婦は、毎週大工さんにお茶入れに通いましてね。
それで大工さんは一生懸命つくってくれたものですから、いい家になったんですよ。大事に住んでください。」と。
その頃の「いい家」は、つくる人と住む人の頭の中に妄想のように描かれていたもののようである。
そして14年前に建替えたのが今の自宅である。
それは50ミリ厚のグラスウールを用いた内断熱の家。窓は単体ガラス入りのアルミサッシ。構造は、木造軸組なのだが「断熱の方法」については完全に無知であった。
自分で考えた自慢の換気システムは、実際には計画通りの効果を発揮しない。高気密につくらない限りは、計画的な換気は無理であるということさえ知らなかったのだ。
夏の夜中は、私がクーラー係。30分おきにつけたり消したり。クーラーの数はなんと9台。
冬は、開放型石油ストーブ3台、電気ストーブ4台、ガスストーブ1台を使う。
実に恥ずかしいことではあるが、わずか14年前は私の頭の中もその程度の「いい家」しか描けなかった。
そしてその後、ソーラーサーキットの家に出会う。
その瞬間、「これは家づくりの革命だ!」と直感した。
「これだ、自分が長年求めてきたものは!」とも思った。
8年前、体感ハウスをつくって私はそこに寝泊まりすることになる。
それ以来、「離れて暮らせば他人と同じ」、女房がカラオケで歌う曲はいつも「浮き草暮らし」となった。
彼女は、体感ハウスに寝泊まりしたことがない。
「あんなに快適なところに一晩でも寝たら、苦労して手に入れた自分の家に寝られなくなってしまう」というのである。
約8年間寝泊まりしてみて、最初の直感が正しかったことを四季折々に確認し続けている。
ここには梅雨という時期が無い。あるのは、一年中のさわやかさだ。
今朝の外の湿度は、87%。家の中はどこも、床下ですら50%台である。
それを8年間不思議に思ってきているのだが、理屈や理論で説明しきれない現実がここにはあるのだ。
私の母は、現在88才で元気に過ごしている。
群馬県にある四万温泉に貸家を借りて、悠々自適、毎日朝と夜温泉につかっている。
その家は、段差が多く、特にトイレに行くのには一番危険とされる3〜5センチぐらいの高低差を踏み分けて行かなければならない。
そこで、その段差を解消する工事を提案してみたら、母は言うのだ。
「何を馬鹿言ってるの。外を歩けば段差などはいくらでもあるし、石ころだって、穴だってそこら中にあるんだよ。おまえは、それを全部取り除いてくれるとでも言うのかい?家の中の段差にけつまずくようになったら、わたしゃもうおしまいだよ」。
一方、長野県戸隠村にある女房の実家は、夏は涼しいところだが冬は、家の中にビール瓶を置いたままにしておくと凍結して破裂してしまう。
子供の頃の思い出で、吹雪の日には枕元に雪が舞っていたという家である。
ばあさんは、こたつに入ってストーブは我々が行ったときだけ使うようにしている。
つまり、温度差を無意識に避けているのだ。
二人とも、ソーラーサーキットの家とは天と地ほどに違う環境で生きている。
私は、寒さ、暑さに対する耐性のレベルは遺伝子によって決められているものと解釈している。
お酒に対する耐性は、母の遺伝子を受け継いでいるのでほんの少ししか飲めないが、寒さ、暑さは母のようには我慢することができない。
これまでの住居遍歴から出てきた結論は、酒代は節約しても、住み心地の良さは存分に味わいたいということである。
私のおやじは、「酒のうまさが判らないヤツは、不幸ものだ」とよく言っていた。
私は、「すばらしい住み心地を知らない人は、不幸である」と言いたい。
タナカ
2000/06/15(木) 04:26:56
松井様
楽しく拝読させていただきしました。第2弾楽しみにしております。
TK
2000/06/16(金) 20:18:17
松井様
ご返事を諦めていたところに波乱万丈の個人住宅史をいただき嬉しく、拝読させていただきました。誰が読むかもしれないこのコーナーで、多くの人に知られる松井さんが、自分の生き様を語るには躊躇があり決断が必要だったと想像しております。これで「何処の誰だか知らないけれど、誰もがみんな知っている」月光仮面のおじさんから、実体のある「離れて暮せば他人と同じ、浮き草暮らし」の奥さんがいるおじさんに私の中ではなりました。
実は私、今年の5月にマツミハウジングに訪問しております。約束の時間に遅れてしまったため、ゆっくりとお話を聞くことができませんでしたが、表情一つ変えずとつとつとSCの技術論を説明していただいたのが印象的でした。それはとても営業の話し方ではなく、自分がいいと思うものしか作らないといった一徹な意気込みを感じました。
その後、某SCハウスメーカーの住宅展示場に行った折、対応していただいた女性が
「どちらでソーラーサーキットの家をお知りになりましたか」
と聞きます。
「いい家が欲しいという本で」
と答えます。うろうろしていると今度は男性から
「松井さんの本はお読みになりましたか」
と尋ねてきます。
「はい」
「そういう方が多いんです」
どうもお客と話しをはじめるキーワードに松井さんはなっていました。
その男性はそのハウスメーカーの社長だったのですが(名前を忘れてしまってすいません)、いわく
「松井さんは、いつも怒った顔をしているんですよね」
私もそう思います。
なにはともあれ、無節操な質問に答えていただきありがとうございました。家は人が作るものだとあらためて思い直しております。
Y
2000/06/17(土) 00:04:50
私は今の家に住むまでは一戸建てというものに住んだことがなかった。
生まれた時から鉄筋コンクリート4階建ての団地暮らしである。今でもその団地は自宅から徒歩5分の位置にあり、懐かしく思う。
最初に入居したのが2DKの新築団地。そこに家族5人が住んでいた。
4階だったので足腰は鍛えられた。小学校3年の時にベランダから転落し、救急車で運ばれた。意識を失っていて気が付いたら病院にいた。それ以降数年に1回ぎっくり腰に悩まされるようになり、現在でも後遺症がある。夏は天井から蓄熱されたコンクリートから発せられる遠赤外線グリル状態で何をしても暑くて仕方が無かった。冬は下の階からの熱で擬似的な床暖房効果があり、裸足でも冷たくなかった。
この団地で上京するまで過ごす事になる。
高校卒業後上京。鉄筋コンクリート2階建の独身寮に入った。環境は劣悪で布団は常にかび臭かった。隣の部屋にアメリカ人が住んでいたので英語も上達し、現在でも手紙のやり取りをしている。
妻とはこの頃からの付き合いだが、故郷に戻り新築の市営住宅に入居する為に入籍。鉄筋コンクリート4階建て、3DKの広い部屋に入居。2人にしては広すぎるぐらいだった。そのため、初めてダブルベッドを購入。フランスベッド製で20万円もした。現在でも長女が使用しているぐらいつくりがしっかりとしている。この時、長男が生まれる。
入居して3年、妻の母親が一人暮しで心配だということで、妻の実家の増築を決意。義母はお店を開いていたので、店舗も建て替えることにした。店舗併用住宅の為、住宅金融公庫からの融資が受けられず、銀行からの高利での借り入れとなった。公務員である為、共済の方からもいくらか融資を受けられた。施工は父親の勤務していた地元最大手のゼネコンに依頼。小学校建築と重なり、工期は大幅に伸びた。壁・天井グラスウール100mm、1枚ガラスのアルミサッシ+木製サッシの2重サッシと1985年にしてはかなりの高性能住宅だと思っている。断熱材に関しては全くノータッチだったが、5年前に風呂場から羽蟻が大量発生し、壁を解体した時にはじめてグラスウール100mmが施工されていることを知った。外壁はラスモルタル塗りでリシン吹き付けだったが、ヘアクラックが目立ってきたので高かったが築3年で弾性アクリルエマルジョン吹き付け工事をした。10年まえから寝室の雨漏りが酷くなる。原因は片流れ屋根の雨仕舞いの不良である。いくつかの業者に相談したが、これは仕方が無いと言われた。先月、コーキング材を水切りの隙間に日曜大工で充填したら雨漏りがピタっと治まった。壁の中では10年もの間グラスウールがぐしょぐしょになっていたかと思うと背筋が寒くなる。地震が来たら、倒壊は免れないだろうと覚悟している。
エアコンは4台、店舗用はフル稼働。長府製は27年、三菱重工製は15年も働きつづけている。三菱電機の霧ケ峰は3年で居間と店舗用がダメになった。昨年、店舗と居間に三菱重工のビーバーエアコンを購入。最新のインバーターである。昨年は猛暑だったのでずっとつけっぱなしだったが、電気代が2万円ぐらいだった。冬はFFストーブ3台と石油ファンヒーター2台、反射式開放石油ストーブ2台が稼動。1ヶ月の灯油台は3万円にもなる。ダイワハウスや積水ハウス(軽量鉄骨プレハブ)のパネルヒーターも月3万円の灯油台がかかると聞いたので、今でもグラスウール100mmに負ける家がバンバン建てられていることになる。
なんだかんだで、今年で私の建てた部分は築16年目を向えようとしている。(義母の建てた部分は27年)ローンもあと4年だ。頑張ろう。
エスター
2000/06/17(土) 06:41:21
私、詮索好きのおばさんのような催促をしてしまって
それ以来自己嫌悪の思いにかられて、談話室をみられません
でした。
昨夜そっと覗いて、松井さんのお話を発見し、何遍も読み返して
すごーく感激してしまいました。
「いい家が欲しい」の底を流れている松井さんのお人柄の魅力
に惹かれます。
タナカさんと同様、続きを期待しています。
Yさんのお話もとってもためになりました。
この欄を提案して下さったTKさんに感謝しています。
これからもこんな家に住んでいるから「いい家が欲しい」
のだというお話をぜひお聞かせ願いたいと思います。
そのうち、私の話も聞いてくださいますか?
※
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